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Midi、介護、福祉のメール・マガジン「3わのペンギンたいむ」 |
| 概論が多いですがいずれ頭を整理して随時追記していきます。 |
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「3わのぺんぎん as みいらん」 私の略歴を書いておきます。高校受験で(多分)一生の傷を負って勉学への意欲を失う。アルバイトを禁止されてたの で近くの重度肢体障害者の作業所を第二の家のように通い始める。そのときに募金やイベントだけでなく普段の作業や トランスや基本的なケアを会得してしまう。 当時通勤圏には3つしかなかった福祉専門学校の説明会をまわり「タテのつながりが強い」等で豊四季の学校を選ぶ。 1年のときは知的障害(当時は精神薄弱者)福祉、2年では不登校(当時は登校拒否)を専攻する。施設実習もそれ にならい、こと児童相談所とはその後も縁が続く。児童相談所主催の治療キャンプに2年参加。不登校の児童の家庭 教師を半年担当する。 縁あって、今で言う知的障害者のデイ・サービスに3年間勤める。主に、一番他人に暴力をふるう方を担当。イベン トでは出来立てのピューロ・ランドへの遠足に参加。市町村の統廃合により人件費が捻出できず勤務を任期満了する。 。 人材派遣の管理課でサラリーマンをするが、最大の 取引先が外資に吸収されたのと年齢的に介護をやるのはここが限界とホームヘルパー2級講座をうける。その後4つの ヘルパー・ステーションに登録し生計をやりくりしそれが○日新聞に取材される。ホーム・ヘルパーのイロハを教えた 事業所が翌年倒産。別のステーションに常勤ヘルパーだが仕事内容はサービス提供責任者の業務というのを行う。 ココロの病を患い、現場を退く。ホームヘルパー1級講座を受講、無事取得。受講期間は恩師の紹介でピ○クのトレー ナーがユニフォームのヘルパーステーションでヘルパーさんの相談や愚痴聴き、情報収集をする。 人材派遣というかたちで特別養護ホームで半年、有料老人ホームで1年半働く。有料老人ホームの運営会社からココロの 病をもつ人は就労禁止といわれ今に至る。現在は人材派遣業の総務部で障害者枠内で生計をたてている。 |